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2023年ゆくとし [雑記]

noteの方にぼんやり描きました。

https://note.com/takosuke2200/n/n68cc4365d269
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TRPGシナリオの再公開に関して考え中 [雑記]

要望なんて来ないだろうと思いつつ、まあ来たら嬉しいなレベルでnoteのプロフィールに書いていたらツィッターで要望をいただきました。

公開する際は有料にしようと思ってたのですが、どうしたものか。
むかーしシナリオ配布始めたころから、もともと有料配布にしようと思ってたのですが、自前Webサイトではなかなか仕組みを作るのが面倒で。
まあTRPG界にちょっとでも貢献できればという安易な妥協で無料公開ですっとやってました。

その点noteなら有料公開もやりやすいので、それも含めて要望があれば、みたいなプロフィールにしてたんですが、いざやろうとすると大分迷います。

仮に有料公開する場合は、公開するシナリオごとにデータとテキスト全部見直して、別のとこや公式からの流用部分がないかどうかのチェックと随時修正は必要です。これがなかなか面倒くさいんですが、自分のシナリオ読み返すのは割かし好きなので、時間はかかるけど苦ではないところ。

シナリオも描けなくなって、TRPG界からは離れてますから、界隈の盛り上げという意味も自分にとっては薄い(もちろん自分の古巣ですから盛り上がって欲しいですが、離れた今では遠くから眺めている程度ですね)ので、その点でも有料公開でいいかなという感じ。

どのみちDLされたとしても、全期間通して1本か2本あればよい方でしょう。
仮に1本50円ぐらいとしてもまあ100円ぐらい?noteにいくらか取られるでしょうし、その程度の売り上げなら無料と大して変わらねえと言えば変わらねえんですが。

当時は大分苦労して魂とか体力とか時間とか色々削りながら書き上げた愛しいシナリオたちなので、当初から無料公開には抵抗あったのですわよ。

とすると、まあ駄菓子程度の値付けで有料公開にするのが良いのかな。

もう少し考えますが、公開の際は多分そういう方針で行くと思います。
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2023年仕事始め [雑記]

ぼんやりしていたら3が日も過ぎ、仕事始まってしまったので掲題のようなタイトルに

年末年始はへんたつ新作にフィーバーしたりトーハク行ったり蚤の市から逃げ帰ったりな感じで過ぎました。
もう少しゆっくりした方が良かったかなあ。

今年は仕事状況の改善、というか、ぶっちゃけ今のテーマからの脱出を目指して動いていきたい。将来性ないもんあの仕事。

プライベートでは、昨年爆減りした貯金を少しずつ復活させつつ、どうにか糸魚川行きを実現したいです。2回は行きたいな。

そんなこんなでよろしくです。
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2022年ゆく年 [雑記]

すっかり筆不精に戻ってしまったのでこのブログも更新が滞っておりますが、SNSなど各方面でお世話になりました。

恒例の年末記事を書き始めましたが、今年はなんだかあんまりよい一年ではなかったなあ、とか思い返しています。

公においては、昨年から流れがどうにも悪く。それまでのお仕事充実ハッピーぶりが嘘のように、意に沿わない仕事ばかり廻ってくる始末。今関わってるテーマも非常にネガティブな仕事なのですが、どうも当分付き合うことになりそうで…

俺様猜疑心が強いわりに、一度信用した後裏切られると凹みようがパナイのですよね…不眠症も再発(1度なるとなりやすくなりますねこれは)気味で、それでもやせ我慢してたけど暮れにあきらめて睡眠薬出してもらって、今はどうにかいくらか熟睡できてます。なので年末年始休暇はほぼ寝こけられてます。タスカル。ドラッグは偉大なり(言い方ァ!

10月まではそれでもどうにか乗り越えようとしてましたが、努力が概ね虚無に飲まれることを思い知ったので、今はどうにか脱出する方向で対応を試みています。

1つかなり楽しそうなテーマに、暮れも押し迫った辺りで噛むことができる見込みが出たので、こちらに望みをかけつつ、来年はもう少し気持ちよく仕事できる状況にしていきたいです。

社会的には、なんというか、暗さも極まるというか(-_-;

ロシアによるウクライナ侵略戦争開始とジェノサイドの実施。首相経験者の銃撃暗殺。それを契機にした日本カルト支配の顕在化、そこからのもろもろ悪い流れ。

流れは現在進行中。というか、加速した感はあるけどこれって気づいてないだけで今までずっと続いてた流れなのよねえ。

ウクライナに関しては、些少ですが月々送金を続けています。足しになるかはわかりませんが、受付が終わるまでは続けるつもりです。

統一教会や創価学会、日本会議等によるカルト支配に関しては、なんというか、打つ手なしというか。
選挙の投票で対抗するしかないのですが、これは一人ではなあ。

国葬騒動の時は(あれは終わったとはカケラも思ってませんが)公式?のデモ活動にちょっと参加してみたりもしました。でも結局強行された、というか最初から中止の目はなかったのでしょうが。
あれが中止できないぐらい、やばい国なんだってことですよね、今の日本。

まあ、やばい面には反対側の面もあって、この情報錯そうする中、いくつか情報源にできそうなアカウント(それでも100パー信じたり同意したりするわけじゃないのでコメントごとに判断していますが)がいくつか見つけられたので判断材料にさせていただいています。

テレビや新聞など、大手メディアが戦前宜しく権力に屈している現在、情報の取捨選択と判断は自分でしないといけないのだなと痛感しております。

繰り返えし指摘しておきますが、現在の日本の政治・政権・メディア・経済界・国民の状況は、明治維新~日本を焼け野原にしてしまった第二次世界大戦前夜の状況に、あきれるほど酷似しています。

全ての日本国民は皆、歴史に学べるかどうかを、試されています。

コロナ禍は相変わらず。ワクチン打ってマスクして手洗いうがいの感染対策で防御するしかないのですが、まあちっともおさまりませんね。

対抗手段が明確になったのだけは良い事です。引き続き頭を低くしてやり過ごしていく方向で。

私事の方では、反して実り多き一年。というか仕事の過剰ストレスと社会不安の圧迫で「これはやばい」と、かつてない危機感を感じたので、ちょっと使っちゃいけない資金を取り崩してまで放蕩していた感じです。

1月のIJTは、かねてからのある任務をクリアしに行ったので員数外ですが、春の甲府ジェムマーケット、夏の新宿ショーからイベント参加を解禁。同人誌即売会も、コミケはまだ見送っていますが、鳳翔さんオンリーの小規模イベントに関しては解禁を始めました。

感染は怖いので気を付けながらだけど、全部我慢は、もう無理やねん。

ミネラルイベントでは、それでも数を絞って12月の東京ミネラルショーと、秋のIJT。あとは突発で冬の石フリマと、短時間でしたが秋葉原のミネラルキャピタルは見に行きました。ああ、あと横須賀のつぐこさんにもいったか。

お迎え品に関しては、望外のレベルですか。

石は金に糸目をつけなければ割とどうにでもなる世界なので、財布というか口座のひもをぶっ壊した今年はだいぶ色々な出会いがありました。
内容は大体ツィッターに流したのでここでは割愛。石活としては二度はできないレベルの散財をしたおかげか、今年どうにか生き延びれた感じ。

催しでは東京国立科学博物館の「宝石展」、東京国立博物館の「国宝展」「ポンペイ展」を見に行ったかなあ。他に何か見たっけか。

特に国宝展は中盤以降チケット戦争が勃発したので行くのが大変でした。話題になった銅鐸ぬいぐるみも、幸運にも買うことができたのでうれしかったなあ。不眠症に苦しんでる歳にだっこして国宝パゥワーをいただいていくらマシにしたりしてました。

スタンプラリーとぬいぐるみ目当てで足しげく通ったおかげで、トーハクが少し身近になったので、来年もちょくちょく出かけたいですね。

「宝石展」は待望の自ジャンルということで、こちらも足しげく通いました。コロナの影響がやはりあり、海外からの出品は限られていましたが、十分すぎるほどに見ごたえのある展示で大変楽しかったです。

他に、スピネラ氏に教えてもらった翡翠原石館に足を運びました。こちらで望外の出会いをいただいたりなど、良い見学だったのは思い出深いです。

今年は糸魚川再訪をかなえたかったのですが、なかなかタイミングをつかめず結局行かずじまいに。
来年はこれのリベンジを一つ目標に掲げたいと思います。

今年はネガティブな割合が多い年でしたが、逆に努力して極端にポジな面をたくさん作った1年でした。良くも悪くも二度はない一年かなと思います。

来年は平和で穏やかな一年にしたいですが、ネガな面は自分ではどうにもならないところで継続していくので、まあ、生き延びることを最優先に、ぐらいですかねえ。

最後になりますが、2022年はお世話になりました。
2023年もよろしくお願いいたします。
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安倍晋三の国葬に対する意思表明 [雑記]

まあ、検索にも引っかからないような、インターネットの片隅の過疎ブログに書いたところで、何の影響力もないことはわかっていますが。

ひとつ、記録と、意思の表明として、書いておきます。

本日。2022年9月27日。

日本国の元総理大臣であり、暗殺という非業の死を遂げた安倍晋三の国葬もしくは国葬儀が、国民の実に六割近く(各社世論調査の平均による。参照 https://twitter.com/miraisyakai/status/1572153593259786241 )の反対にもかかわらず、強行開催されました。

閣議決定という、内閣、すなわち行政府の独断で行われ、内閣葬ではなく、国としての葬儀、国葬とされたこの政治決断は、かつて当の安倍晋三により強行されたアベノマスク配布という愚策をさらに下回る愚策であり、議会制民主主義、立憲国家、三権分立という、日本国の「国の形」を破壊する、考えうる限り、憲政史上最も愚かで愚劣な政策であると考えます。

私はこの政策、政治決断に強く抗議し、反対する意思を表明します。

本件は、憲法に違反する恐れがあるのみならず、日本国の恥ずべき歴史である、大東亜戦争という侵略戦争当時の政治への回帰を示唆するものでもあります。到底、行政府のみの独断でしていい政策ではありません。

やるならやるで、最低限国会を開いて議論・議決を経てからやるべきでした。

以上を一つの楔とし、自分は金輪際自民党及び公明党の現与党2党を支持しません。
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2022年あけました [雑記]

今年もよろしく。

特に書くこともないのであいさつ程度に。
今年はファイザーの飲み薬が実用化されると思うので、コロナも対処可能な病気になると思います。
そうしたら色々活動を再開していきたいですね。
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2021年ゆくとしくるとし [雑記]

さて恒例の年末日記ですが、そうですねえ。何を書こうか。
まだ酔っぱらってます(笑 紅白見つつ書きながら少しずつ素面に回復してくる見込み

今年は、相変わらずコロナ警戒の一念でしたが、11月ぐらいの感染低調を見て、日常がいくらか戻った年でもありました。

夏のオリンピックに向けては、ひたすら反対、徹底抗戦の言説をネットに流しましたが、力及ばす開催されることに。

おかげでアスリートに対する非常によくない偏見(と言いつつ、正当な評価とも思いますが)自己中心的で周りのこと・被害など考えない、という見方が確定しました。

コミックマーケケット99、冬コミが開催できたことは、掛け値なしに良い出来事でした。
僕は相当厳し目のリスク評価でコロナ禍を過ごしていますが、それに照らしても、冬コミでの対応(来場者抑制、ワクチン検査パッケージの適用、事前のアナウンス、最終的なGO、NOGO判断)は納得のいくものでした。

それに比べて東京オリンピックはグダグダでとても褒められるものではありませんでしたが。
あれが反面教師になったのではと思います。

自分としての年内で大きなイベントとしては、シミズ貴石様へのカットオーダーを含めた一連のオーダーと思います。


これに関しては来年早々に記事にまとめたく思いますが。
金額の規模も大きかったですが、何よりも、かねてよりあこがれのカットオーダー、仕立てオーダーを、ほかならぬシミズ貴石様にお願いできたのは望外の喜びでした。
2021年は、引き続きイベント自粛うということでミネラルショーには一切出かけなかったので。
その代わりに、そのリビドーを全部つぎ込んだ感じでしたねー。
また良い原石を得た際には、またお願いしたく思います。

今年は、政権や政治への批判を強めた1年でもありました。

元々は政治的な発言は避けていたツィッターやブログのアカウントで、大分積極的に政権批判、政策批判を流したと思います。

今後、そういうのを特に押さえようとは思いませんので引き続き出して行きますが、言いたい事があって、発言できるアカウントがあるのであれば、黙っているより発言した方が好い、というのは今年学んだことと思います。
それに意味があるかというと、まあ無いのですが。
ため込んでるよりは書いて出してしまった方がが良いなと。

今年は仕事の面でも大きな刺激、というかストレスがありました。
色々任せてもらえるのは素直に嬉しいですが、明らかなキャパオーバーに気付かぬうちに入っておりまして。
久しぶりに病みましたな。
色々調整はもうできる範囲では済ませたので。
この年末年始で内心を落ち着けて、来年のお仕事に臨みたいところです。

今年はそんな感じでしたが、さて来年はどうなる事か。

ファイザーの飲み薬がある程度普通に使えるようになれば、事実上コロナ禍は終わりと考えています。9割5分治るなら、コロナももうインフルエンザと同じでいいでしょう。
それがいつ来るか、で、色々なリスク評価の線引きにしようと考えていますが、さてそれがいつになるか。
出来れば年度替わり前後で来てくれると嬉しいですが。さてさて。

まあ期待も不安もありますが、あーだこーだ言っても時計は進むので、2021年も終わりです。

例年に比べて感慨深いというのは薄いですけど。

ともあれ、今年もお世話になりました。

来年もよろしくお願いします。

さて、年末へんたつ新作を待ちながら、年を越していきます。


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#新型コロナ ペンは剣(=権力)に勝てるのか [雑記]

日々衰えを知らない「新型コロナウィルス」の猛威には、最近では恐怖を通り越して辟易しています。

私、無一文は昨年2月に中国での感染拡大が報じられて以来警戒しており、自分なりに情報を集めたり、西浦先生や江川紹子記者の発信、尾身先生らコロナ専門家有志の会の発信、厚労省や福祉保健局が発表するデータ、などなど、情報収集のアンテナを可能な範囲で広げるだけ広げて知見を増やしたりして来ました。

おかげで早いうちから「自分と家族を守るためにはどうすればよいか」に関して自分なりに理解・考察し、対策を実践できてきたと思う。

つまるところ「マスク、手洗い、うがい、消毒、同居人以外と会わない」をいかに徹底できるか。

幸い、今いる職場は100%テレワークが可能なので、通勤による感染リスクは無く、それにも大いに助けられており、会社上層部の英断には感謝しきりです。

そうやって対策できるだけして徹底したとしても、できることは「感染の確率を下げられる」だけしかないので、運が悪ければ新型コロナに罹患します。ええ、感染対策に絶対はありません。

自衛のスタンスとしては「新型コロナへの罹患は確率で決まる」という概念で、いかにリスクを下げて感染の確率を下げられるかの勝負という認識です。


さてコロナへの情報収集や感染対策など、役に立ちそうな話は今回の本題ではないので、前置きとしてこの辺にしておきます。


上に書いたとおり、自分なりにアンテナを広げて情報を集め、勉強し、考察を重ねていますが、昨年暮れ以降、特に東京オリンピック・パラリンピックの騒動を眺めていて最も懸念している社会的リスクへの疑問は2つあり、今回はそれについての考えをまとめるべく、記事にしてみます。

疑問の1つ目は、なぜ、都政、国政の行政トップ、つまり権力は、非合理的で国民不在としか言えない判断を連発し、継続するのか。

もう一つは、なぜ、権力の監視を自任する”はず”の、新聞、テレビ各社をはじめとするメディア、記者が、こうも権力に負け続けているのか。

1つ目は、ある程度まともにコロナ禍の惨状を追っている人なら当然抱く疑問と思います。

2つ目は、ここ数カ月強烈に頭をもたげてきた疑問で、自民党・野党をはじめとする権力の不備や不正を指摘し、世論を後押ししているはずのメディアが、権力にいささかの痛痒も与えてないのは、不思議というより、納得がいきません。

今回はこの辺り、自分なりの解釈と解析した結果を書いてみて、この課題を解決するための自分なりの案を提示したく思います。(とはいえ、ほぼ総括なので、それほど長い文章ではありません、気軽に眺めていただければ)


権力が世論を気にせずに暴走を続ける理由は、実に単純なことで、今の日本の時世では、権力・政治家が、いくら世論の批判を浴びても、選挙に負けることはないからです。

自民党大嫌いな自分としては正直に言って噴飯ものですが、秋の衆議院議員選挙で自民党が負け、政権交代するという未来は無いでしょう。二階幹事長が支持を表明したことで、菅総理大臣の続投も堅いでしょうね。

あれだけ批判を受けているのにおかしな話ですが、権力の座に座っている菅総理大臣や安倍前総理、二階幹事長、麻生副総理などが、どれほど批判されても、逃げ回る答弁を繰り返してその場に居座り、同じことを繰り返しているのは「選挙で負ける」という可能性がないからです。

これら政治家と共生関係にある竹中平蔵などの連中が安穏としていられるのも、この基盤があるからと考えています。

何故この連中は「選挙で負ける」可能性がないのか。その理由は、表面的には「投票率が低い」ことです。そして内部の構造としては、その低い投票率を支える、選挙で投票に行く人たちのうち多くが「自民党に投票する人」である為です。

世論は自民党を批判しますが、文句を言う人の中で、投票に行く人が少数であることは現在の国会での議席割合が証明しており、自明ですよね。

政治家にとって、最も恐ろしいのは選挙で負けることです。これを避けるために、本来であれば、政治家は世論を気にするのが、民主主義国家の基本的な仕組みです。

ですが、この「低い投票率により、実際に投票する有権者を自民党支持層で埋めることができている」構造が変わらない限り、どれだけ阿呆な政策失敗を繰り返し、国民を見殺しにし、入管で外人を餓死させ国外からの批判にさらされても、自民党の選挙・議席は安泰です。世論は、政治家にとって脅威ではないのです。

これではいくら国民が望んでも、政治は変わりません。構造的に、変わることはあり得ません。


もう一方の、メディアの方に目を向けると、「世論」に関しては、その形成に大きく寄与するのは新聞、テレビ、記者などのメディア(以後、メディアで記載を統一します)、「ペンは剣よりも強し」の格言で言えば、ペンを担う人たちです。

その力は強力で、普通に社会生活を送っている人でメディアを目にしない人はいないことは、実感としてお分かりでしょう。

マスゴミなどという批判を鑑みても、批判者ですらメディアには、タイトルだけ等軽くでも目を通します。

このコロナ禍においても、メディアによる世論形成力は大きいと感じます、昨年どうにか唯一実現した、国民への10万円一律給付などは、メディアが力を発揮した一面と言えるでしょう。

昨今ではSNSをはじめインターネットメディアなど多様化・細分化してきています。

細分化により、メディアの大小を問わず声を上げやすくなった面と、一方で細分化したために、メディア個々の力が著しく弱体化した面があるのではと、私は考えています。ここ2年、熱心にアンテナを広げてみて感じていることです。

しかし、世論に大きな影響を与え、作り出すことさえ可能なメディアですが、コロナ禍の2年程を見て見ても、権力に負け通しです。

それはもう、見る影もない惨敗と言っていいでしょう。明らかな違法行為や中抜き利権、公文書改ざん、憲法違反、逃げ回り答弁など、攻撃し、批判し、あわよくば失脚を引き起こせるだけの材料が、これだけ巷にあふれているのに、腹痛で敵前逃亡した安倍晋三を含め、メディア、世論の力で失脚した政治家はほとんど見当たりません。先ほど名前を挙げた、政治家トップの中では皆無です。

メディアが弱い理由は、これまでにアンテナを張って得た情報の限りでは、いくつかあります。

ひとつは、メディアの中でも大手と呼ばれる会社、記者が、内閣とべったりの「記者クラブ」に所属していることがあります。権力に都合の悪いことを報道すると、一番のネタの宝庫である政権の記者会見から干されるんだそうです。そうすると都合悪いことは書けなくなります。

もう一つ、オリンピックに関しては、公式スポンサーとして大手メディアが名を連ねているので、オリンピックへの批判ができなかったという点は確かなようです。

他に、この間ツィッターに流れてきた解釈で、なるほどと思ったのが「最近のメディアの報道は権力者や取材対象が言ったことを、右から左に垂れ流すスピーカでしかなくなっている」という指摘です。

なるほど確かに、朝日新聞や毎日新聞の大手メディア、東京新聞などの地方メディアですら「菅総理が会見で○×と発言した」としか書いていない記事が大部分です。

速報としてはわからなくもないですが、いかにも安上がりな記事で、工数かけずにPV稼ぎたいんだろうな、という意図が透けて見えます。

取材対象の発言やその背景を何もかみ砕かず、解釈・解説せずに、言葉をそのまま垂れ流しでは、果たして新聞記者とは、何をしてご飯を食べている職業なのか。

コピペならば昔の私のような、日雇いの偽装請負派遣労働者にでも安く書かせておけばよいのです。

「マスゴミが今回も切り取った」などと批判されることもよく目にしますが、この記事の書き方では当然出てくる批判なのだな、と言うのが、この解釈からわかってきました。

仮にも「新聞記者」としてご飯を食べているのであれば、知性を感じられる新聞記事を量産していただきたいと思いますが、昨今そうではなくなっており、メディアが負け続ける要因であると解釈しています。

私が得た範囲の情報で判別できるのはこれぐらいですが、これだけを見ても、無視できない影響をメディアに及ぼすでしょうし、これらの構造が長年続いているのであれば「メディアが権力に飼いならされている」構造は、確かにあるのだろうと読み取れます。

大手メディアは、このように権力相手に圧倒的不利な情勢です。では、先ほど書いたような、大手メディアに頼らない、メディアの多様化。小さなメディアやフリーの記者さんなど、権力に忖度しないメディアに期待を持つのはどうでしょうか。

一部で、もてはやされている、いわゆる「文春砲」などに期待を持っている面は私にもありますが、それでも近頃は大した号砲もないですし、大きなスキャンダルを大爆発させても、遠からず人々は忘れてしまい、権力の失脚や交代までは至りませんでした。これも負け戦と私は判断しています。

アンテナを広げる中で、江川紹子さんの、素晴らしい二つの記事(東京・墨田区のワクチン接種はなぜ速いのか(江川紹子) https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20210816-00253513 、 【新型コロナ対策】菅首相はすぐに国会を開け! 今のままでは責任放棄だー江川紹子の提言 https://biz-journal.jp/2021/08/post_245756.html )や、平尾剛さんの、重要な一石( 元ラグビー日本代表・平尾剛氏が語ったオリンピック報道への違和感 https://friday.kodansha.co.jp/article/199971 )を目にし、在野の記者にはこのような方々もいるのだなと心強く思いました。

ですが、失礼ながら、これらの記事は強力ではありながら、膨大な情報の渦に、すぐに流れ去ってしまいました。大きな流れを作るには至りません、これも負け戦と判断しています。

(注釈:素人記事なので話を単純化するべく、勝ち負けと二極化していますが、現実はそうすっぱり割り切れるものではないことは、前提として踏まえおいていただけますと幸いです。野党が自民党同様にひどい連中であることとか、現代日本社会がろくでもなくなってる要素は数限りなくあると考えています)


さて、どうしましょう、手詰まりです。頼みの世論もメディアも権力の交代や失脚をもたらすことが構造的にできません。このままではブレーキなしの権力に導かれるまま、日本は悪い方へと進むばかりで、極端な予測をすると、遠からず、日本という国は無くなってしまうのではないでしょうか。


どうにかしたい。どうするか。

これまでに書いたことはコロナ禍で考えをまとめた事ではありますが、構造としてはその遥かずっと前からあるもので、私としては特に小泉・安倍政権以降は、ここ数年どうすればよいのかと言うのは、折に触れて、私なりに考え続けていることです。

少なくとも一朝一夕には無理です。仮にとんでもない奇跡が起こって、秋の選挙で自民党が大敗し、野党が政権を取ったとしても、いつぞやの民主党政権を見ればわかるとおり、同じことが繰り返されるだけです。

それに対抗するには、自民党、野党を問わず、政治家の意識が変わることを考えなければなりません。

神頼みのように、素晴らしいリーダーの登場を待ったり、なんとなく良い方向に向かうことを期待するのが徒労であることは、この2~30年で日本国民それぞれが、骨身にしみてわかってきたことです。
(世間を見てるとわかってない人たちがものすごくたくさんいますが、つまり選挙で投票しない人たち)

政治家の意識を変えるには、結局のところ、自民党が毎回勝つことが決まっている現在の選挙を、変えるしかありません。構造的に変わらないのであれば、まずはその構造を変えることを考えなければならないのではないでしょうか。

選挙のたびに、当選するのか、落選するのか、少なくとも五分五分ぐらいで政治家にドキドキしてもらう必要があります。でなければ政治家の意識など変わらないでしょう。

逆に、選挙のたびに、政治家が当落5分5分でドキドキするような社会であれば、政治家は国民の目を気にしなければならなくなります。世論を気にしなければならなくなります。

それこそが、国民が、政治を、政治家をどのように思っているかを、政治家に意識させる社会であると言えると、私は考えています。


どうやって変えるかと言えば、仕組みとしては単純で、投票率をあげることです。

投票率を上げることで、必然的に、投票する人の中の自民党への投票者の割合いを薄めることができます。


ですのでここ数年、私は選挙のたびに「どこの党が勝った」「誰が当選した」よりも、投票率の数字を見ています。

自民党が勝ったとしても、投票率が高ければ素直に喜びます。長い目で見れば、それこそが、この社会が良い方向に向かう、一つの兆しだからです。

ですがまあ、皆様お察しの通り、投票率は上がりません、どころか年々下がる一方です。

この投票率を上げるにはどうすればよいか。

SNSなどで、私を含め、多くの方が「投票へ行こう!」と、しきりに声をあげていますが、あれはオープンワールドに見えて、実際のところは、それぞれがそれぞれの見たい分野しか見ていないので、クローズドな世界です。広く社会に訴えかけることができるものではありません。

またSNSですと文字数制限があったりして、言いたいことが細切れになったり、端折られたりしますし、あまり議論や意見の発信に向いたツールではないと、SEとしては考えています。

投票率を上げるにはどうすればいいか。

投票に行かない人たちに、投票に行ってもらうにはどうすればよいか。

考えていて、じゃあ、投票に行かない人たちは、なぜ投票に行かないのか、ということを、ここ2年ほど考えています。

あくまで私なりの、今現在の解釈で、正しい解と断言はできませんが。

結論としては。

「選挙のことがわからない、知らない」のではないかと解釈しています。

選挙なんか有権者なら誰でもわかるだろうとお思いでしょうが、少なくとも私はこれまで、いくつかの「選挙に対する誤解」に触れてきています。

以下に列挙します。


・選挙に行っても何も変わらないじゃないか(学生時代のバイト先で、パートのおばさんが良く言ってました)

 →それは逆で、選挙に行かないから変わらないのです。中曽根ごろの長期政権時代に育まれた誤解と解釈しています


・投票する相手がいないから、自分の名前を書いて投票した・白票で投票した。投票したい候補者がいない事への意思表示をしてやったのだ。

 →無効票は投票率に数えられますが、株主総会での全権委任と同じで「選挙に勝った政党に全権をゆだねます」という意味です。もし、入れる候補がいない、というので無効票を投じた場合、その入れたくない候補に、白紙委任するという意味になります。この誤解の源泉は、他ならない自民党から流布されたとの記載をどこかで目にしました(定かではありません)ので、もし本当だとすれば、まんまと自民党の戦術に乗せられていることになります。


上に書いたものは、自分自身も長らく捕らわれていた誤解なので、あまり人のことは言えないですが。

それでも自分なりに勉強することで、誤解を解くことができたと考えています。

そして、同じように、誤解をもとに選挙に行かない人が、投票しない人には多いのではないかと考えています。

また、選挙が自分のものである、という意識が希薄、皆無なのも、選挙への無関心などと、よく言われているように問題です。これら問題点をあげていくときりがありませんが。

少なくとも、これらのサンプルからすると、「選挙って何?」という、選挙がどういう者か、そもそも知らない層は無視できないレベルで多いことが予測されますし、選挙が意識にあっても、誤解している層もかなり広いのではと解釈しています。

この辺りは、政治学とか、選挙とは何ぞやとか、社会学とか研究している学徒の方の意見を聞きたいところですが、いかんせんそういった方面のわかりやすい記事に出会ったことはありません。

ですので、メディアや記者の方々には、こういうことを取材して記事にしていただきたいというのが、ここ1年半での私の強い希望です。

私のような選挙を誤解しているような層、選挙に対する正しい知識を持たない層の、盲を開いてほしいと、切に望みます。

人間単純なもので、わからない物には興味を持ちませんし、興味を持たないものには、かかわりません。つまり、選挙がわからない、興味がなければ、選挙にはいきません。モチベーションを持ちません。

投票率を上げるには、こういった層に、選挙に興味を持ってもらう、選挙の知識を学んでもらうことが、良い道ではないかと。それが私の最近の結論です。

とはいえこれも簡単ではなく、今しがた書いた通り興味のないものに人は関心を持ちませんから、広報を打つとか、CMを流すとかは効果が皆無と考えています。

一方で、ふとヤフーニュースの一覧を見たときに、選挙の知識や解説に関する記事が、必ず1個か2個は目に入るとか。

スマホを開いて出てくるトピックを見ると、選挙の知識や解説に関するコンテンツが普通にあるとか。

強制的に訴えかけるのではなく「ごく普通に、自然にそこにあるもの」として、選挙の知識や解説が、だれでも身の回りにある社会になっていくのが、地道ですが結局は、権力を変えていく結果に結びついていくのではないかと、考えています。

「選挙なんて、投票日に投票しに行ったら終わりじゃないか。それでどうやって、日常にあふれるほどの記事が書けるのだ」と、お思いになるかもしれません。

私個人で言えば、先ほど書いたような、選挙に行かない人はどういう人なのかは知りたいと思います。

ウィキペディアによれば、衆議院議員選挙だけでも過去48回、参議院では26回、過去に選挙があり、それぞれ特集するだけでも74本は記事が書ける計算になります。

それぞれ候補者や有権者、投票率、当選した議員がその後何をやったか、落選した人はどうなったかなど、紐解けば天文学的な数の記事が書けるでしょうし、それぞれが現在位のどこにつながってるかなどの追跡記事があれば、またすそ野が広がります。

過去を振り返るだけではなく、現在の選挙に関する基本的な知識や、小選挙区制などの仕組みと功罪などなど、書ける記事には枚挙にいとまがないでしょう。

そしてそれらは、少なからず、読者自身の人生につながっていくのですから、選挙に行かない人でも、自然と興味が醸成されていくのではないでしょうか。投票率が、上がっていくのではないでしょうか。

そうであれば、メディア、記者の方々も、今のように、糠に釘を打つような言論ばかりではなく、何か少し、社会に前向きな影響を与えて行けるのではないかと、それだけの力があるのではと、期待しています。

「ペンは剣(権力)よりも強し」

必ずしも戦う必要はないのですが、ペンが力を示せるとしたら、そんな社会だと良いなあと。

今の、希望がほとんど見えない世の中で、もし希望が見えるとしたら、例えばそういう社会なのではないかと、私は最近考えています。


政治家と言うのは、権力を握ってはいますが、その権力は、我々国民が委託したものです。

菅総理も、安倍晋三も、二階幹事長も、我々国民に使われている、被・雇用者であり、雇用主である、我々国民の意見・世論を無視するというのは、通常の組織では許されないことです。

しかし、今の日本社会の構造では、それが許されており、それどころか雇用主である我々国民の手から、完全に離れてしまっています。

それと言うのも、国民が、選挙という、いわば人事評定に興味を持たないためです。投票に行かないことで、書類も見ずにポンポンハンコを押しているからです。

投票率が上がるためには、メディアの力が重要です。

メディア各社、記者の皆様には、ぜひ、コロナの記事と同じぐらい(は、大げさですが)の頻度で、選挙の知識や解説が目に入るように、記事をたくさん書いていただきたいです。

選挙の解説や、知識の話なら、大手メディアでも、政権に気兼ねなく書けるでしょう。期待しております。

長くなりました。

後日加筆、改定するかもしれませんが、ひとまずはこの辺で。








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夏季休暇の過ごし方 [雑記]

朝:家で寝てる

昼:家で寝てる

夕方:近所散歩

夜:家で寝てる

コロナだからね。

なお、これだけ警戒してても、運が悪ければウィルスに引っかかる可能性は考慮してる。
パルスオキシメーターは買いました。ヨドバシ・ドット・コム便利だね。
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