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政治と報道 [本と雑誌]


政治と報道 報道不信の根源 (扶桑社新書)

政治と報道 報道不信の根源 (扶桑社新書)

  • 作者: 上西 充子
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2021/02/28
  • メディア: 新書



のんびり読んでいた本を読了。
ツィッターで流れてきて興味を持った本です。

日本の衰退が誰の目にも明らかな昨今、テレビやネットでニュースを見ていて「何かおかしいな?」と感じる方は多いと思います。
ですが、その違和感を「具体的に捉えよう」、あるいは「言語化しよう」とすると、なんだかわからなくなってしまう。そんな経験はありませんでしょうか。

かくいう自分もそんなモヤモヤを抱えたまま大分長いこと居たのですが、そのモヤモヤをどう具体化すればよいのか、の、参考になる本でした。

著者の上西 充子さんは法政大学の先生だそうで、報道に触れる中で常々感じていた問題意識をいくつか本にしてくださっています。本書はそのうちの1冊になりますね。
「ごはん論法」という言葉を定着させたことで知られているそうですが、寡聞にして自分は知らず。ですがその流れで彼女のツィートが流れてくるようになって、興味を持って読んだ次第です。

読んだ感触としては、上記のモヤモヤを(著者の視点からの分析ではありますが)例を挙げながら具体的に解きほぐしていくので、自分で報道を見たり読んだりするときに、一歩下がって吟味する際の手引きになります。
文体も口語体で大変読みやすく、とっつきやすい本でした。自分はのんびり読んでましたが、腰を据えて読めば多分2時間ぐらいで読めるボリュームで、読みやすく良い本です。
言説の姿勢としては与党政権に批判的な方向(自分もその方向なので共感は強かったです)が、与党支持の方にも、報道を読み解く際の良い手引きになると思うので、お勧めしたいですね。

読み終わって少し経ったので反芻しながら感想を書いていますが、多くの「気づき」を与えてくれて、考えさせてくださる本です。考えさせる本は良い本です。

本書の中では、マスコミが大事にしている「両論併記」に伴う留意点や、速報記事に見られる「~~~と首相発言」といった政治家の発言をそのまま切り取って報じる短い記事などの問題点への指摘が、特に重点的になされています。

これらの指摘を見て、俺自身も政治報道に関する大きな問題点として「客観性が致命的に欠如しているのではないか」という考えに至る事が出来ました。まあこれが正しいかはわからないので今後その点に注意してみていくってだけではありますが。

例えば、本書で主なサンプルとして大きく取り上げられている「桜を見る会」をめぐるスクープ報道に関して、その発端は、毎年行われていたこの会合を知らなかったある編集長が「これはおかしいぞ」と思ったことだったそうです。

朝日や読売、毎日など、そうそうたる大手メディアの記者たちは、この行事を熟知しているが故に疑問を持たなかったため、あの騒ぎまで長年行われていたこの行事に全く疑問を持たなかったそうです。
彼らはこの行事を詳しく知っていて政治家ともここで仲良くしている、という内部の視点・主観の中に居るがゆえに、スクープのすぐそば、どころか内部に居ながらそのスクープに気付かなかったわけですが、この行事を知らなかった、外部の編集長からすれば、そこには明確な違和感があったことが詳説されていました。

また本書で危惧されている、記者クラブ所属記者が取材対象の政治家と距離が近すぎてしまう問題、政治家主催のオフレコ懇談会にネタを求めていくが故に、政治家の懐に取り込まれてしまう問題。それにより報道に手心が加わっていると危惧される点。これは記者と政治家の視点が近づき、その主観で記事を書き、報道するが故に起きる問題ではないかと思いました。
「桜を見る会」のように、客観的な視点を持つ人材がいれば、これらからも埋もれているスクープ、もしくは報道対象が出てくるのではないかしら。

俺がこう考えるには理由があり、身に覚えがあるからです。

俺はソフトウェア開発者なのでプログラムを書いてはそれを動かして飯食ってますが、プログラマは自分のプログラムが正しいと思って書いてても、これをそのまま動かすと面白いぐらいに不具合が山と出るのです(注:プログラマ本人にとっては面白くありません)。
困ったことに、プログラマは自分の書いたプログラムにある不具合を見つけるのが苦手です。何故かというと、正しいと思って書いているから。言い換えれば主観で書いているからです。
これだと商売にならないので、プログラム開発には、第三者によるレビューという工程が存在します。プログラマの主観にとらわれない第三者がプログラムを読んで、間違いを指摘するのです。プログラムした当人の主観にとらわれない団参者が客観的に問題を指摘することで、プログラムはようやく製品として通用するソフトウェアになるのです(ほかにもテストとかいろいろあるのですが本題ではないのでここでは省きます)

こう考えてみると、上西さんの本書でも、現場の記者を離れた客観的視点によってようやく指摘が可能になった例がいくつも取り上げられています。「桜を見る会」の経緯などはまさにその典型でした。
本書で問題意識を投げかけられている現役の記者たちは、主観で記事を書いているので、記事に含まれた問題に気付かないのではないかと思います。

もう一つ、両論併記に伴う問題点にも、客観性が欠けているからではと、自分には思えました。
記者の大事にする両論併記の目的は、報道の公正さを保つことです。
方法としては、与党の意見と野党の意見を併記するとか、与党の立場と野党の立場を併記するとかで行われていますが、俺から見ると、この方法では公正さは到底保てない、やり方を根本的に間違っているように思えました。

例えば与党の意見と野党の意見を併記する、というのは、言い換えれば与党の主観と野党の主観を併記する、ということです。これは主観と主観を並べて書いているだけで、第三者の視点がありません。
この構造では公正な報道には到底なりえません。主観と主観の併記では視野があまりにも狭すぎて、それらが国民の目にどう映るのか、国民にとってどういう意味を持つのか、どのような未来が想起されるのかが全く見えません。
この構図は、与党と野党は尊重されていますが、肝心の国民が尊重されていないのです。つまり両論併記では、構造的に公正な政治報道にはなりえない、不可能なのです。
政治報道は、まずこの呪いのような強固な構造から抜け出す必要があるでしょう。

新聞などのメディア、また政治報道というものは、歴史が長い世界です。それだけに、その長い歴史で積み重ねられてきた文化で硬直し、とらわれているのでは、というのが本書を読んで感じた、政治と報道に関する危惧です。
本書で取り上げられている毎日新聞デジタルの取り組みは評価でき、成果もあげていますが、それでも従来の硬直した政治報道の枠内での変革なので、未だ主観にとらわれている印象を受けます。

とはいえ、そういう凝り固まったものがそう簡単に変革できるはずもないので、どうすればよいか、というのはなかなか難しいですね。
自分が思いつくのでは、やはりレビュー工程がどこかに欲しいなと思います。
速報記事では時間的に無理ですが、定期的に報道業界外の視点で記事を見てもらい、指摘を受けるプロセスをはさむ。指摘してもらったからと言ってすぐに変革できるわけではないので、それを時間をかけて繰り返しながら、指摘と指摘に対する改善を積み重ねていくのが良いのではないでしょうか。

レビューしてもらう人は、報道業界外の日本人だけでなく、海外の人にも見てもらいたいですね。
最近ようやく表で騒がれるようになってくれた、ジャニーズ事務所の性的暴行被害のスクープは、BBCの報道が契機でした。この問題は僕ら日本人は大体知ってましたし、芸能界・メディア業界の人たちにとっては常識でした。ですがスクープとなり、社会を動かす流れになるためには、海外メディアの目という客観的な視点が必要だった。この構図は本書で詳しく解説されている「桜を見る会」がスクープ化した経緯と大変良く似ています。
色々なものがグローバル化してきている今の時代、報道もグローバル化し、世界とまじりあっていく必要があるのでは、と、言うことも、本書を読んでいて考えたことです。

久しぶりに長い感想文になりました。
読みながらあれこれ考えさせてくださり、さらには今後の考察の参考にも大変なった、素晴らしい読書だったと思います。毎回書いていることですが、考えさせてくれる本は良い本です。

大変良い読書でした。お勧めです。
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