#TRPG 実セッションで出会う謎理論 [TRPG]
先日、久しぶりに考察してみようと思うケースに出くわしたので、のんびり記事にしてみんとす。
まあ記事と言いつつ、いつもの駄文なので気軽に読み流してやってください。
まずはじめに、掲題の「謎理論」を見てなんじゃそりゃと思われた方もいると思いますが、俺が呼びやすいように適当に付けた造語なので、よそで通じるとは思わないでくださいね。
てわけで言葉の定義からですが、今回の「謎理論」とは、以下のことを指します。
------------------------------------------------
ある人が、自身のTRPGプレイ経験や、色々なTRPG関連の知見から編み出した、当人としては筋が通っているが、余人からすると理解できない考え、信条、自分ルール等のこと。
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具体例は後述しますが、今回の論旨は、「TRPGをやっていると出会うケースが割とありそうなこれに、どのように対処するか」を考察することです。
言葉ばかりが先行しても何が何やらという話になりますので、さっそく謎理論の具体例を二つほど示しましょう。
まずは、言い出しっぺの責任として自分を人身御供に捧げます。
俺がかつて抱えていた、以下の信条です。
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謎理論その1:
GMは、いかなる場合にも、自分が催したセッションを否定してはならない。
理由:
自分がしくじったと思っているセッションでも、そのセッションを楽しんでくれたプレイヤーは居る。
セッションをGM自ら否定することで、その楽しんだプレイヤーの楽しかった気持ちを壊してしまう。
故に、GMは自分の催したセッションを否定してはならない。
------------------------------------------------
主観的に理由を見ると筋が通っていないこともない、見事な三段論法ですが、まあこれを読んでそのままうなづく人はいないでしょう。
理由は、認めようが認めまいが、失敗セッションは失敗セッションであるので、GMがそれを認めないのはプレイヤーからすれば噴飯ものであるからです。
もう一つ、より深刻な理由として、失敗を認めない、という姿勢をとることで、そのセッションでどこがまずかったのかということをきちんと分析することを妨げ、次につなげることがしづらくなる、つまり自分で自分の成長の芽を摘んでいる、という面があります。
今から考えると吐血物のお恥ずかしい中二理論ですが、当時はそれなりのプレイ経験からこう言う考えにいたり、納得していたんですからまあなんですね。アホですね。ああ恥ずかしい。
ここから目が覚めるのに年単位の時間を要したんですから病は深かったです。
もうひとつ、こちらは先日出会った、今回の考察のきっかけとなったものです。
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謎理論その2:
ハンドアウトの選択に関して、プレイヤーから希望順位をプロットした後、どのプレイヤーがどのハンドアウトを使うか不満がないように決定するのは、GMの責任である。
理由:
ハンドアウトの選択がかち合った場合、概して、いわゆる”声の大きい”人が希望のハンドアウトを取ってしまう。
その場合、ハンドアウトを取れなかったプレイヤーに不満が生じ、楽しいセッションを阻害する。
そうならないためには、審判役であるGMがプレイヤーの希望の中からハンドアウトを決定するのが最も平等である。
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こちらは、審判役であるGMに決定権を預けている辺りで”その1”よりかは筋が通った理由に見えますが、ちょっと考えると色々妙なことに気が付くのではないかと思います。
理由としては、そもそも”声が大きい人がハンドアウトを取るのを防ぐ”ために、セッションでの役割上”もっとも声が大きい存在”であるGMが”ハンドアウトを決める”ことは矛盾しないのか。
また、GMが不満の生じないハンドアウト決定をできる保証は全くない(GMはエスパーではなくただの人間ですから、不満のない選択を見通す千里眼は持ち合わせていない)こと。
あとは、GMが決めようが声の大きいプレイヤーが決めようが、自分が望まないハンドアウトを誰かに決められた時点で、もうそのプレイヤーが不満を抱えるのは避けようがないので、その責任をGMに担わせるのはどうなのか、とかですかね。
そもそもハンドアウトは、その仕組み上自分で選択するもので、他人に決められるものではありませんから、根っこのところから何か妙だというのはなんとなくわかるかなと思います(希望のハンドアウトが被るなら二人三人で取れば良いだけの話ですから、GMに決めさせるのではなく、相談すればよいのです)。
さて具体例を出してみましたが、共通する部分がある事はわかりますでしょうか。
共通する部分、それは”その1””その2”それぞれの内容ではありません。それが当人の主観的には筋が通って疑いようが無く、しかし客観的に見ると納得できるものではない、という点です。
そしてもう一つの共通点、これが重要なのですが。
この奇妙な信条は、”その当人のTRPGプレイ経験や考察から編み出された”ものであり、”当人の中では様々な裏付けがある”、という点です。
つまり、誰かにそれは変だと指摘されても、軋轢を生むばかりで、一朝一夕に捨てられる信条ではない、ということです。
故に、今回はこれらの不思議な信条を、先述した以下の定義で、いったん謎理論と名前を付けておきます。
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ある人が、自身のTRPGプレイ経験や、色々なTRPG関連の知見から編み出した、当人としては筋が通っているが、余人からすると理解できない考え、信条、自分ルール、のこと。
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名前を付けるのは、単にいちいち解説書かにゃならん手間を省くためとご理解ください。
さてここまで述べてきた内容で、TRPGにそれなりに経験を重ねている方は、なんとなく身に覚えがあると感じた方もいるのではないでしょうか。
ぶっちゃけTRPGなんて遊ぶ輩は、俺を含めて何かしらのこだわりや、思い込みの強さなどを備えているものです。
それは余人に理解できるものであるケースは多くはなく、基本的には自分の中で完結しているものです。
なので、上記のような謎理論を抱くのは、別に特別なものではなく、むしろ一つや二つぐらいは、だれでも持っているものです。
責任感の強い人ほど「これこれはかくあるべし」といった信条を抱えやすいですしね。
故に、謎理論を抱いて、それに沿ってTRPGを遊ぶこと、それ自体は何ら悪いことではありませんし、責められることではありません。
ですので、個別の謎理論に対して、良い悪いなどを言うのは、今回の論旨ではありません。
今回は、この誰もが抱く謎理論、しかし、上記の具体例のように、時に噴出するとセッションを破壊しかねないこれに、どのように対処するか、を論じたいと思います。
前置きというか前提の解説が長くなりました。まあなかなか理解できる話ではないし、俺も先日まで対処を考えてすらいなかった話で、そもそも理解する必要のある話でもないので、少しくどくなったことはご容赦ください。最初に書いたとおり、今回もあまり意味のある内容ではなく、自分の考えの整理のための駄文です。
本件、具体的に対処を考えていなかったことは確かですが、TRPGをやっていると、この手の信条を相手取るケースはままあるので、なんとなくのレベルで対応してきた部分ではあります。
なので、今回はそのあたりのなんとなくを、整理のために言語化してみようと思います。
まずひとつ、自分の中に前提として持っておくとよいのは、「自分自身も、謎理論にとらわれているのだ」ということを認識していることです。
俺自身”その1”に挙げた謎理論にとらわれていましたし、今現在も意識してないところでろくでもない考えにとらわれているのだろうと思っています。
例えば”オンラインセッションはこなせる気がしないのでやらない”とか、”一人でも楽しめない人がいるならそのセッションはやらないほうがいい”とか、そういった類の信条というか、クリティカルな場面に至らないための予防線みたいのはいくつか思い当たるので、その辺りも余人から見たら納得できるものではないかもしれません。
ただ、「自分が他人に理解できない考えを持っている」と認識しておくことは「他人も自分に理解できない考えを抱いている」ことをわきまえておくことにつながります。
TRPGはそもそも複数人で遊ぶことが前提になるゲームですから、いろいろな考えを持つ人が一緒に遊ぶのだ、ということは、なんとなくはわかっていると思います。
なので、それをお互いにきちんと認識していることは、そのまま”お互いの考えは違うのだから、少しずつすり合わせていこう”、という姿勢につながります。
これがあるとなしでは、TRPGの遊びやすさや、TRPGの楽しさが大きく違うことは、大体経験則でわかると思うので、ひとまずこの考えを前提に置いておくことは悪いことではないと思います。
次に、もう少し踏み込んだところで、この謎理論から起因して、セッション参加者が不満を抱く、あるいはセッションが崩壊するのを防ぐにはどうすればいいのか、という点を考えてみたいと思います。
これは非常にデリケートな話で、これが正解、というものはないのではないかと思っています。
先述した通り、謎理論とは、それを抱いている人にとっては正義です。
なので仮にそれに直面し、仮にそれが間違っていた、もしくは間違っていると感じたとして、論理的にその人を説得し、セッション前、もしくはセッション中の短時間、一朝一夕に納得してもらえる話では、そもそもないのです。
加えて、それが間違っているかどうかなんて誰にも断言できない話ですから、説得して考えを変えてもらうことが正しいと、言える話でもないのです。
それを踏まえて、今回改めていろいろ考察してみましたが、やはり、これで対応できる、といった考えやテクニックの類は思いつきません。まあ今回はいったん記事にしましたが、引き続き考えては行きます。
ただ、現状なんとなくで対処している部分はあり、それはひとえに「謎理論をそもそも噴出させない」辺りかなあと、今回考えていました。
先述した二つの具体例は相当極端な例ですが、これがセッションの際に表面化した場合、謎理論を抱いている当人も、それを理解できないと思ってしまった同席プレイヤー(例によって俺の論述の際、プレイヤーとはGMも含みます。プレイヤーもGMもセッションにおける役割が違うだけなので、ゲームを楽しもうという姿勢や、セッションに対する責任はイーブンです)も、もはや楽しくセッションに臨める状態ではないでしょう。
実際、先日これに直面した際、俺はこの理論を相手にマスタリングできる自信はなく、俺がGMとしてのセッションの続行は不可能と判断して、流会にしています。
謎理論はその性格上、噴出した後の軌道修正は並大抵のものではない、というかほぼ不可能です。
なので、これを起因とした意見の衝突が起きないようにする、というのがまあ、現実的な対応ではないかと思います。
では、具体的にどうやったら噴出しないようにできるか。
これまた「こうすればいいよ」というわかりやすい話はないのが難しいです。
繰り返しますが謎理論は余人には理解できないので、察知することもしづらく、いわば誰にも見えずに地面に埋まっている地雷のようなもので、意識して避けるのは不可能だと考えています。
なので、最初の論に戻りますが、他人が自分と違う考えでいることを前提として、それらをなるべく包含した、最大公約数的なゲームの進め方をするのが、一つの手ではあるかなと思います。ですがまあこれはあまり具体的にどうこうできる話ではないですね。
俺の場合は「今回はこんなノリで行く」とか「気楽にいきましょー」とかの前提をなるべく公言することで、同席プレイヤーにマスタリングの前提を理解してもらうようにゲームを進めることで、最大公約数を広げていく感じでやったりしますが、これも万全ではないです。やらないよりはやるほうが良いレベルの話ですね。
もうひとつの考え方として、デリケートな問題の兆候を察知しやすい臨機応変で柔軟な対応、ぶっちゃけ自分の最も得意とするやり方でゲームを進めるのが、結局は良いのかなと思います。
自分がやりやすいやり方でゲームを進めるということは、比較的余裕をもって自分がゲームに臨めるということです。
その分、同席のプレイヤー陣の態度や発言、感情の機微などに気づく余裕があります。
謎理論による不満の噴出は別段特別なことではなく、ごくごくいつも通りの不満の兆候として見えると思います。
ある程度プレイ経験を重ねていくと、この辺りは感覚的にある程度わかるようになりますので、そのあたりを意識して、手当てしていくのが良いのではないかと思います。
まあそれでも、先日の俺のように、見誤って地雷踏むこともあるのですが。
先日の一連の流れでは、プレイヤーの希望に押されて、少しずつ俺が苦手な方のゲームの進め方になっていってしまったので、この辺のかじ取りというか、バランス感覚はもう少し鍛えねばならんなと思いました。
地雷踏んだ時は改めて分析、考察し、次につなげればよいのです。
プレイヤーの要望は取り込みつつ、プレイヤーを信頼しつつ、全体を見渡せる余裕を保つことは、今後の自分への課題ですね。
長々と書いてきましたが、最終的な結論としては「同席プレイヤーに目を配り、お互いの考えをすり合わせながら遊ぶのが良い」という、TRPGではお定まりの結論に落ち着きました。
色々考えた末に結局いつもの定位置というのは、まあ我ながら発想が貧弱だなあと思うものでもあり、でも結局TRPGってそういう単純なものだよなあという安心感でもありますね。
ただ、同席プレイヤーが、何かしらの強固な信条を抱いてるケースがある、ということを可視化できたのは、今回プラスできた良い経験だったかなと思います。
さて、今回の駄文長文は以上になります。最後まで読んでくださった奇特な方はいらっしゃいますかね(笑)
今回もお付き合いありがとうございました。
まあ記事と言いつつ、いつもの駄文なので気軽に読み流してやってください。
まずはじめに、掲題の「謎理論」を見てなんじゃそりゃと思われた方もいると思いますが、俺が呼びやすいように適当に付けた造語なので、よそで通じるとは思わないでくださいね。
てわけで言葉の定義からですが、今回の「謎理論」とは、以下のことを指します。
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ある人が、自身のTRPGプレイ経験や、色々なTRPG関連の知見から編み出した、当人としては筋が通っているが、余人からすると理解できない考え、信条、自分ルール等のこと。
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具体例は後述しますが、今回の論旨は、「TRPGをやっていると出会うケースが割とありそうなこれに、どのように対処するか」を考察することです。
言葉ばかりが先行しても何が何やらという話になりますので、さっそく謎理論の具体例を二つほど示しましょう。
まずは、言い出しっぺの責任として自分を人身御供に捧げます。
俺がかつて抱えていた、以下の信条です。
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謎理論その1:
GMは、いかなる場合にも、自分が催したセッションを否定してはならない。
理由:
自分がしくじったと思っているセッションでも、そのセッションを楽しんでくれたプレイヤーは居る。
セッションをGM自ら否定することで、その楽しんだプレイヤーの楽しかった気持ちを壊してしまう。
故に、GMは自分の催したセッションを否定してはならない。
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主観的に理由を見ると筋が通っていないこともない、見事な三段論法ですが、まあこれを読んでそのままうなづく人はいないでしょう。
理由は、認めようが認めまいが、失敗セッションは失敗セッションであるので、GMがそれを認めないのはプレイヤーからすれば噴飯ものであるからです。
もう一つ、より深刻な理由として、失敗を認めない、という姿勢をとることで、そのセッションでどこがまずかったのかということをきちんと分析することを妨げ、次につなげることがしづらくなる、つまり自分で自分の成長の芽を摘んでいる、という面があります。
今から考えると吐血物のお恥ずかしい中二理論ですが、当時はそれなりのプレイ経験からこう言う考えにいたり、納得していたんですからまあなんですね。アホですね。ああ恥ずかしい。
ここから目が覚めるのに年単位の時間を要したんですから病は深かったです。
もうひとつ、こちらは先日出会った、今回の考察のきっかけとなったものです。
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謎理論その2:
ハンドアウトの選択に関して、プレイヤーから希望順位をプロットした後、どのプレイヤーがどのハンドアウトを使うか不満がないように決定するのは、GMの責任である。
理由:
ハンドアウトの選択がかち合った場合、概して、いわゆる”声の大きい”人が希望のハンドアウトを取ってしまう。
その場合、ハンドアウトを取れなかったプレイヤーに不満が生じ、楽しいセッションを阻害する。
そうならないためには、審判役であるGMがプレイヤーの希望の中からハンドアウトを決定するのが最も平等である。
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こちらは、審判役であるGMに決定権を預けている辺りで”その1”よりかは筋が通った理由に見えますが、ちょっと考えると色々妙なことに気が付くのではないかと思います。
理由としては、そもそも”声が大きい人がハンドアウトを取るのを防ぐ”ために、セッションでの役割上”もっとも声が大きい存在”であるGMが”ハンドアウトを決める”ことは矛盾しないのか。
また、GMが不満の生じないハンドアウト決定をできる保証は全くない(GMはエスパーではなくただの人間ですから、不満のない選択を見通す千里眼は持ち合わせていない)こと。
あとは、GMが決めようが声の大きいプレイヤーが決めようが、自分が望まないハンドアウトを誰かに決められた時点で、もうそのプレイヤーが不満を抱えるのは避けようがないので、その責任をGMに担わせるのはどうなのか、とかですかね。
そもそもハンドアウトは、その仕組み上自分で選択するもので、他人に決められるものではありませんから、根っこのところから何か妙だというのはなんとなくわかるかなと思います(希望のハンドアウトが被るなら二人三人で取れば良いだけの話ですから、GMに決めさせるのではなく、相談すればよいのです)。
さて具体例を出してみましたが、共通する部分がある事はわかりますでしょうか。
共通する部分、それは”その1””その2”それぞれの内容ではありません。それが当人の主観的には筋が通って疑いようが無く、しかし客観的に見ると納得できるものではない、という点です。
そしてもう一つの共通点、これが重要なのですが。
この奇妙な信条は、”その当人のTRPGプレイ経験や考察から編み出された”ものであり、”当人の中では様々な裏付けがある”、という点です。
つまり、誰かにそれは変だと指摘されても、軋轢を生むばかりで、一朝一夕に捨てられる信条ではない、ということです。
故に、今回はこれらの不思議な信条を、先述した以下の定義で、いったん謎理論と名前を付けておきます。
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ある人が、自身のTRPGプレイ経験や、色々なTRPG関連の知見から編み出した、当人としては筋が通っているが、余人からすると理解できない考え、信条、自分ルール、のこと。
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名前を付けるのは、単にいちいち解説書かにゃならん手間を省くためとご理解ください。
さてここまで述べてきた内容で、TRPGにそれなりに経験を重ねている方は、なんとなく身に覚えがあると感じた方もいるのではないでしょうか。
ぶっちゃけTRPGなんて遊ぶ輩は、俺を含めて何かしらのこだわりや、思い込みの強さなどを備えているものです。
それは余人に理解できるものであるケースは多くはなく、基本的には自分の中で完結しているものです。
なので、上記のような謎理論を抱くのは、別に特別なものではなく、むしろ一つや二つぐらいは、だれでも持っているものです。
責任感の強い人ほど「これこれはかくあるべし」といった信条を抱えやすいですしね。
故に、謎理論を抱いて、それに沿ってTRPGを遊ぶこと、それ自体は何ら悪いことではありませんし、責められることではありません。
ですので、個別の謎理論に対して、良い悪いなどを言うのは、今回の論旨ではありません。
今回は、この誰もが抱く謎理論、しかし、上記の具体例のように、時に噴出するとセッションを破壊しかねないこれに、どのように対処するか、を論じたいと思います。
前置きというか前提の解説が長くなりました。まあなかなか理解できる話ではないし、俺も先日まで対処を考えてすらいなかった話で、そもそも理解する必要のある話でもないので、少しくどくなったことはご容赦ください。最初に書いたとおり、今回もあまり意味のある内容ではなく、自分の考えの整理のための駄文です。
本件、具体的に対処を考えていなかったことは確かですが、TRPGをやっていると、この手の信条を相手取るケースはままあるので、なんとなくのレベルで対応してきた部分ではあります。
なので、今回はそのあたりのなんとなくを、整理のために言語化してみようと思います。
まずひとつ、自分の中に前提として持っておくとよいのは、「自分自身も、謎理論にとらわれているのだ」ということを認識していることです。
俺自身”その1”に挙げた謎理論にとらわれていましたし、今現在も意識してないところでろくでもない考えにとらわれているのだろうと思っています。
例えば”オンラインセッションはこなせる気がしないのでやらない”とか、”一人でも楽しめない人がいるならそのセッションはやらないほうがいい”とか、そういった類の信条というか、クリティカルな場面に至らないための予防線みたいのはいくつか思い当たるので、その辺りも余人から見たら納得できるものではないかもしれません。
ただ、「自分が他人に理解できない考えを持っている」と認識しておくことは「他人も自分に理解できない考えを抱いている」ことをわきまえておくことにつながります。
TRPGはそもそも複数人で遊ぶことが前提になるゲームですから、いろいろな考えを持つ人が一緒に遊ぶのだ、ということは、なんとなくはわかっていると思います。
なので、それをお互いにきちんと認識していることは、そのまま”お互いの考えは違うのだから、少しずつすり合わせていこう”、という姿勢につながります。
これがあるとなしでは、TRPGの遊びやすさや、TRPGの楽しさが大きく違うことは、大体経験則でわかると思うので、ひとまずこの考えを前提に置いておくことは悪いことではないと思います。
次に、もう少し踏み込んだところで、この謎理論から起因して、セッション参加者が不満を抱く、あるいはセッションが崩壊するのを防ぐにはどうすればいいのか、という点を考えてみたいと思います。
これは非常にデリケートな話で、これが正解、というものはないのではないかと思っています。
先述した通り、謎理論とは、それを抱いている人にとっては正義です。
なので仮にそれに直面し、仮にそれが間違っていた、もしくは間違っていると感じたとして、論理的にその人を説得し、セッション前、もしくはセッション中の短時間、一朝一夕に納得してもらえる話では、そもそもないのです。
加えて、それが間違っているかどうかなんて誰にも断言できない話ですから、説得して考えを変えてもらうことが正しいと、言える話でもないのです。
それを踏まえて、今回改めていろいろ考察してみましたが、やはり、これで対応できる、といった考えやテクニックの類は思いつきません。まあ今回はいったん記事にしましたが、引き続き考えては行きます。
ただ、現状なんとなくで対処している部分はあり、それはひとえに「謎理論をそもそも噴出させない」辺りかなあと、今回考えていました。
先述した二つの具体例は相当極端な例ですが、これがセッションの際に表面化した場合、謎理論を抱いている当人も、それを理解できないと思ってしまった同席プレイヤー(例によって俺の論述の際、プレイヤーとはGMも含みます。プレイヤーもGMもセッションにおける役割が違うだけなので、ゲームを楽しもうという姿勢や、セッションに対する責任はイーブンです)も、もはや楽しくセッションに臨める状態ではないでしょう。
実際、先日これに直面した際、俺はこの理論を相手にマスタリングできる自信はなく、俺がGMとしてのセッションの続行は不可能と判断して、流会にしています。
謎理論はその性格上、噴出した後の軌道修正は並大抵のものではない、というかほぼ不可能です。
なので、これを起因とした意見の衝突が起きないようにする、というのがまあ、現実的な対応ではないかと思います。
では、具体的にどうやったら噴出しないようにできるか。
これまた「こうすればいいよ」というわかりやすい話はないのが難しいです。
繰り返しますが謎理論は余人には理解できないので、察知することもしづらく、いわば誰にも見えずに地面に埋まっている地雷のようなもので、意識して避けるのは不可能だと考えています。
なので、最初の論に戻りますが、他人が自分と違う考えでいることを前提として、それらをなるべく包含した、最大公約数的なゲームの進め方をするのが、一つの手ではあるかなと思います。ですがまあこれはあまり具体的にどうこうできる話ではないですね。
俺の場合は「今回はこんなノリで行く」とか「気楽にいきましょー」とかの前提をなるべく公言することで、同席プレイヤーにマスタリングの前提を理解してもらうようにゲームを進めることで、最大公約数を広げていく感じでやったりしますが、これも万全ではないです。やらないよりはやるほうが良いレベルの話ですね。
もうひとつの考え方として、デリケートな問題の兆候を察知しやすい臨機応変で柔軟な対応、ぶっちゃけ自分の最も得意とするやり方でゲームを進めるのが、結局は良いのかなと思います。
自分がやりやすいやり方でゲームを進めるということは、比較的余裕をもって自分がゲームに臨めるということです。
その分、同席のプレイヤー陣の態度や発言、感情の機微などに気づく余裕があります。
謎理論による不満の噴出は別段特別なことではなく、ごくごくいつも通りの不満の兆候として見えると思います。
ある程度プレイ経験を重ねていくと、この辺りは感覚的にある程度わかるようになりますので、そのあたりを意識して、手当てしていくのが良いのではないかと思います。
まあそれでも、先日の俺のように、見誤って地雷踏むこともあるのですが。
先日の一連の流れでは、プレイヤーの希望に押されて、少しずつ俺が苦手な方のゲームの進め方になっていってしまったので、この辺のかじ取りというか、バランス感覚はもう少し鍛えねばならんなと思いました。
地雷踏んだ時は改めて分析、考察し、次につなげればよいのです。
プレイヤーの要望は取り込みつつ、プレイヤーを信頼しつつ、全体を見渡せる余裕を保つことは、今後の自分への課題ですね。
長々と書いてきましたが、最終的な結論としては「同席プレイヤーに目を配り、お互いの考えをすり合わせながら遊ぶのが良い」という、TRPGではお定まりの結論に落ち着きました。
色々考えた末に結局いつもの定位置というのは、まあ我ながら発想が貧弱だなあと思うものでもあり、でも結局TRPGってそういう単純なものだよなあという安心感でもありますね。
ただ、同席プレイヤーが、何かしらの強固な信条を抱いてるケースがある、ということを可視化できたのは、今回プラスできた良い経験だったかなと思います。
さて、今回の駄文長文は以上になります。最後まで読んでくださった奇特な方はいらっしゃいますかね(笑)
今回もお付き合いありがとうございました。